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MotoGP/WSBK/Rebel250/台湾/音楽。Tech3チームマネージャーのニコラス・ゴヨン様を爆推しする。

ポンシャラルさんインタビュー(2023年4月)和訳

今年の4月にポンシャラルさんの面白いインタビューが出てたのを見つけたので全文翻訳した。

 

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◼︎エルベ・ポンシャラル「トラックドライバーもやったし料理もした」

https://www.crash.net/motogp/feature/1023974/1/herve-poncharal-i-was-truck-driver-cook

 

-ニコラ・ゴヨンが新たにTech3 MotoGPチームのマネージャーに昇進したことにより、オーナーとなったエルベ・ポンシャラルは、1985年以来、全グランプリに出場してきたという記録が途切れる可能性があるという。

 

または、そうならないかもしれないが。

2023年、今のところ、ポンシャラルは、正式な肩書きは「チーム代表」になったが、平常通りMotoGPMoto3のプレシーズンテスト、そして開幕グランプリに出席している。

 

「重視する人もいますが、僕は自分の肩書や名刺にどう書くかは、そんなに気にしませんね」

IRTA会長でもあるポンシャラルはCrash.netにそう語った。

 

89年にTech3を始めた当初、メンバーは3人だけで、私はトラックドライバーでもあり、料理もしていたんですよ!

それから大きくなっていきました。250ccのライダー1人体制から、2人体制になり、2000年にチャンピオンシップに勝ち、500ccに上がって、それがMotoGPとなりました。その後Moto2に参戦することを決め、2つ目のチームを作り、それが今はMoto3のチームになっています。それから、MotoEが始まったので3チームになりました。ウチは今、ホスピタリティ、マーケティング、事務スタッフを含む約50人のスタッフを雇用していますよ。

もちろん、大きくなるにつれて、組織を変え、自分の役割を適応させていく必要があります。複数の理由があり、ニコをクルーチーフからチームマネージャーに昇進させるのにちょうどいいタイミングでした。

 

今年、ポルがウチに戻ってきて、それは本当に嬉しかったのですが、彼だけでなくポール・トレバサン(ポルのレッドブルKTM時代のクルーチーフ)も加わることになりました。ポルとポールは本当にお互いを信頼しており、一体のような関係なんですよ。そのパートナーシップを壊すことはしたくないですし、我々は両手を広げて二人を歓迎しました。

しかし、そうすると、2人のMotoGPライダーに対してクルーチーフが3人になってしまいました!とはいえ、ニコはここ数年、クルーチーフの役割以上の仕事を果たしてきていました。彼の家は我々のオフィスのすぐ近くなので、1年のうち12か月オフィスにいて、私のチーム運営の手伝いに大きく関わっていました。

彼には正しいプロフィールがあると思いますし、タイミングも正しかったと思いますよ。他のチームマネージャーと比べて良い点は、彼が非常に強力な技術的バックグラウンドも持っていることですね」

 

ーニコは工学部の学生として加入した

「ニコは真のTech3マンという感じですよ、チーム内で徐々に昇進してきましたからね」

ポンシャラルはそう説明した。

「ニコは工学部の学生としてウチに加入したんです。大学在学中にアプリリアで働いたこともあってね。彼のレベルはとても高かったので、卒業後に正式採用しました。

彼の最初の仕事はMoto2チームのデータエンジニアだったと思います、その後、MotoGPチームのデータエンジニアになり、それからクルーチーフになりました。

カル(クラッチロー)は、ダニエレ・ロマニョーリを連れて(ドゥカティへと)移籍しました。ニコはカルのデータエンジニアで、ヤマハとともに我々は彼が十分に優秀であると考え、2014年に彼をクルーチーフに昇進させました。

というわけで、彼のMotoGPのクルーチーフとしての最初のシーズンは、ポルにとっての最初のMotoGPシーズンでもあり、ウチには二人のルーキーがいることになりましたね。ニコはその後、今年までクルーチーフを務めていました」

 

1985年以来、一度もレースを欠席したことがない

ゴヨンがTech3のピットボックスを運営するとなると、ポンシャラルの連続グランプリ出場記録が終わりを迎えるということだろうか?

 

「いい質問ですね。僕は1985年以来、一度もレースを欠席したことがないんですよ。これは記録だと思います!」

ポンシャラルは答えた。

「僕は(ポルティマオの)MotoGPのテストに出て、ニコは帰ったんですが、Moto3チームに僕が彼らを気にかけていないと思わせたくなかったので、僕はMoto3テストに残ったんですよ。それからポルティマオでのレースウィークがあって、アルゼンチンがあって、COTAですよ。

38に家を出て、418に帰ります。だからまだ全然ゆったりはできませんよね!

何回かレースを欠席することになりますかね?わかりませんけど。もしかしたらカレンダーの終わりを見たら……いや、わからないですね。でもカルメロは僕に言うと思いますよ、「エルベにいてほしい」とね。

様子を見ましょう。でも確かに、僕はちょっと控えて、ニコにもっとピットの責任者らしくなってもらいたいです。それにカルメロやピット・バイラーとのミーティングがいくつかある時は、いっぺんに両方出る必要がなくなります。

だから僕は嬉しいですが、僕のポジションが「チーム代表」であろうがなんだろうが、そんなに変化はないですね!」

 

-我々はもはやKTMB」チームではない

今シーズンのTech3のさらなる視覚的な変化は、KTMサテライトチームとしての5期目に、赤いGASGASブランドに切り替わることだ。

 

GASGASカラーを着られることを大変誇りに思います。昨年はKTMファクトリーチームとKTM Tech3チームでした。確かにAチームとBチームでした。今は、KTMブランドを代表するチームが1つと、GASGASを代表するチームが1つとなっているわけです」

ポンシャラルは語った。

「ウチはもうKTMBチームではありません。我々には自身のアイデンティティがあります。ウチには独自のコミュニケーション部門があります。我々は、会社が生まれたスペインの雰囲気を活用するために、バルセロナで生のチームプレゼンテーションを行いました。KTMオーストリアでプレゼンテーションを行いました。彼らはオンラインで行いましたが、私たちはステージで行いました。

しかし、舞台裏では、技術的には何も違いはないんです。ピエラモビリティは4人のライダーでMotoGPに参戦しており、ポルの契約条件はジャックとブラッドとほぼ同じです、お金の話はしませんけど。

サポートレベルもはっきりしています。ポルのポジションは他の二人と同じですね。もちろん、4人のライダー全員が2023年スペックのバイクに乗ることができ、その後の開発も一緒になっていくはずです。今までのような遅れはないでしょう。

ピエラモビリティはGASGASブランドに強く期待しています。ラインナップのほとんどはオフロードですが、2024年からはロードバイクもラインナップされる予定です。

アンケートによると、GASGASは非常にクールなブランドであり、将来成長する余地が多いにあると考えられているそうです。アメリカなどのように、主要な地域ではすでに需要が高まっています。

そのため、ピエラモビリティはこのブランドに大きな期待を寄せています。これが、彼らが「エルベ、あなたは他の(レッドブルKTM)チームと同じように、100%サポートされます」とはっきりと言った理由でもあります」

 

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ニコは英語インタビューだと自分を「ニコラス」と自己紹介するけど、ポンシャラルさんはいつも「ニコラ」と紹介しているので、そのように書いております(本当はフランス語の「ニコラ」なわけだが、ニコの優しさリスペクトで、私はニコラス呼びしとる)

 

 

ニコがアプリリアの仕事もしてたとは知らなんだ。あとオフィスの近くに住んでるという初出の個人情報をネットで暴露されているwww原文ではnext toとまで書かれているので、かなりの近所の模様……やめろよ、特定したくなるじゃないかwそんなに近いと、Tech3のオフィスが豪雨被害に遭った時、ニコ邸もダメージ受けたんだろうかかわいそ…(Tech3 豪雨 浸水」と検索すると当時の記事と写真が見れる)

 

なおニコ加入は本人Linkedinによれば2003年で、その時期Moto2ないし250ccはやってなかったので、普通にMotoGPチームのデータエンジニアから始めたんじゃないかなあと思うけど、どうなんでしょ。

………いや、本人Linkedinに書かれている時代の前に、学生時代にお手伝いとして250ccのデータエンジニアの仕事をしたってことか!!ポンシャラルさんならではのすごいレア情報だな〜。ニコヲタ狂喜のいいインタビューだ。

 

 

やっぱり、このポンシャラルさんの記事見ても、去年までKTMワークスとTech3とのバイクに差がつけられてたんだなと再々再認識したわ。やっぱイケルすごかったんだわ……(そのイケルが乗ってこの有様なホンダの現状????)

 

 

(ニコ ; ò .ó) < ええっ……俺の家バラしちゃったんですかボス